ファンデッキとは。
「強くなりたい」
それが、僕がOCGでネットデビューしたきっかけであった。そして今もその思いは変ってはいない。
初めからカードがそろっていたわけではなく、ひたすら実戦で腕を磨き、上へ、ひたすら上へとはい上がってきた僕にとって、”最強”こそが何よりも目指すものであるのだ。
しかし、OCGはゲームである。ゲームは楽しくなければならない。それもまた正論である。楽しくなければ、僕とてとうの昔にやめているだろう。
では、試しに自分の好きなカードを詰め込んだ、いわゆる「ファンデッキ」を適当に作ってみよう。
例えば、カードを3枚も4枚もかけなければ完成しないファンデッキならではの「コンボ」を、実戦で相手が許してくれるだろうか。よほど運がよくなければ無理だろう。
現実味のないコンボを実際に扱うには、かなりの計算を要するのである。
過去に、「こちらはファンデッキなのにハンデス使うなんて鬼ですか!」と言ってきた人がいた。
ファンデッキだから弱くてもいい、という考え方は僕は嫌いである。
「楽しくやろうよ」と大会でいくら主張したところで、例えば相手が使う八汰烏ロックを、先攻ハンデスを、誰が責められるというのか。例えどんなデッキであろうと、大会等において相手のデッキをけなすのは、その人のエゴというものである。
「僕がファンデッキなんだから、それに合わせてくれよ」というのでは、あまりに情けないとは思わないだろうか。
「このコンボを決めたいから、ハンデス魔法使うのはやめてくれ」などという主張が、まかり通るはずはない。
ではどうすればいいのか。
簡単な話である。ファンデッキを、勝てるデッキにすればいいのである。
ここで勘違いしないでもらいたいのは、僕はファンデッキ=弱いデッキだとは思っていない。確かにカードゲームには流行の形があり、それに対抗する形で様々なデッキが生み出され、それが主流を担っている(メタゲーム)。
ところが、ファンデッキは、それらのメタゲームからは完全に離れた位置に存在するデッキである。
だから、ファンデッキがスタンダードと呼ばれることはない。なぜなら、ファンデッキは使い手を選ぶからだ。
しかし、主流ではないからといって弱いわけではないのだ。流行は、一つの指針に過ぎない。
自分の好きなカードを使う。そして勝つ!勝てば誰にも、ファンデッキだから弱いなどといってバカにされることもない。
「これが自分だけのスタンダードだ」と、胸を張って自慢できるはずである。
だが、元々が強いカードから派生するスタンダードなどに比べて、どうしても好きなカードから派生するファンデッキは、脆弱に思われがちである。
もちろん、そう思われるのにはそれだけの理由があり、過去に「使えない」という理由で外されてきたカードが再び陽の目を見るのは困難なのもまた事実であるのだ。
が、先人の考えがいつでも正しいとは限らない。
見落とされてきた新たなコンボが眠っている可能性もあるし、デッキの構成次第では完成するはずのないコンボをあっさりと完成させることだって可能なのである。
例えば、「ブラック・マジシャン」が使いたい、と思ったとする。
ここで、スタンダードのようなデッキを作り、何となくショッカーを抜いてブラック・マジシャンを入れたりするのは得策ではない。なぜなら、明らかに弱くなっているからだ。
そこで、好きなカードであるなら、それを生かす手段を考えよう。
例えば、ブラック・マジシャンがサーチ不可であるなら、黒魔術のカーテンで呼べばいい。黒魔術のカーテンを使うならLPを犠牲にしなくてはいけないため、それを逆に利用して、巨大化を使うのはどうか………といった具合である。
このように考えていけば、好きなカードを使って強いデッキを作ることは十分に可能なはずである。
伊達に何百種類というカードが出ているわけではないのだ。
現に、僕自身も、ファンデッキをスタンダード以上の域にまで昇華させたデッキを幾つも見てきた。
チーム死去メンバー委員長のアメーバデッキ、広島組構成員いおりんの雷龍融合デッキ………それらはオリジナルのコンセプトを持ちつつも、強さという点でもスタンダードと十分に渡り合えるものがあった。
ちなみに、勝つことを最初から目標にしないデッキがあることも知っている。
それは、ファンデッキではなく「お遊びデッキ」として、僕の中では区分されている。
僕にとってファンデッキとは、「主流から離れながらも勝ちを狙うデッキ」のことなのである。
自分だけのデッキで勝つ。
もしかすると、僕が目指す最強デッキへの道はそこにこそ隠されているのかもしれない。